求道と超越

 中国の文化は宗教音痴で、宗教的感性が稀薄だ。そこにはこの悲惨な現実世界を超越することを内実とした求道的な精神はない。

周公・孔子以来、この現実世界にこそ理想世界を実現しよう、この世界以外に理想世界を実現する場などあり得ないという思考を、中国の士大夫文化はまるで生来の性格のようにしてきている。そういう文化世界には外来の異質な超越思考など根付くはずもない。この醜く苦悩に満ちた世界を見捨ててしまおうというインド的な超越志向・思考こそ「本質的」で「高度」な宗教だと思いこんでいる私にとって、中国の文化とは、たとえ「宗教」と呼び慣わされているものであっても常に現実臭さの体質を感じさせる、いつまでも馴染みきることのできないものである。

 たとえば中国禅とは、インド伝来の超越志向を中国的現世志向へと見事に換骨奪胎した中国的宗教の典型である、というのは私の個人的見解ではなく、今の学問世界では当たり前で常識的な見解。

 また、奇妙でもあり、面白いことに、そういった中国の文化を研究する人たちにもまた何故か宗教的感性が稀薄であり、因果関係は分からないけれど、この現実世界を心から愛せる人たちが自ずと中国研究に向かうような印象を私は持ち続けてきた。こうしたことは、文化の優劣や善し悪しの問題ではなく、それぞれの文化の基層をなす特質に関わる問題でもあり、個人的なレヴェルで言えば「志向」「嗜好」の問題にすぎないのだが。

 そんなことを感じつつ中国仏教を学んできた私にとって、中国研究者であられる入矢先生は特殊で例外的な存在に思われた。禅の語録をなによりも正確に読まねばならぬという姿勢で語録の読解に革新をもたらした中国文学研究者という世間的評価が、そのはじめ先生のお名前との出会いであったことは言うまでもない。しかしその後、『求道と悦楽』や『自己と超越』が出版され、それを通して伝わってくる入矢先生は、私にとって先に述べた「普通」の中国研究者ではなくなった。  入矢先生は『求道と悦楽』の序で袁中道の述懐に感銘を示しつつ、「何よりも自らを求道者として呈示するかのように見えてしまいかねないことに違和感を覚え」ると述べられながら、「求道者は常に迷人であり続けよ」(『自己と超越』「求道と迷道」)とし、その序で「実は私には、自分がなにかの完結者になることを許さないという性癖がある。いつまでも「道に迷う」人であり続けたいと望んでいる」と語られているではないか。

 ごく稀に見かける先生は、格好のよく洒落たイギリス紳士風でもあり、またお酒や煙草をこよなく愛しておられたと聞いている。そんなスタイリストの先生が、お書きになる文章の端々にやや躊躇しながらご自身の精神の在り方を語ってくださる。それが私にとっての入矢先生であったし、先生との書物を通してだけの出会いであった。

確かに禅の語録にかんする方面で先生が遺された業績は、「(『碧巌録』や『臨済録』の)言語と文体のもつ奇妙な魅力にとりつかれ」、「とりつかれたあの魅力の秘密を解き明かすこと」こそがその原動力となっていたことに違いあるまい。しかし上記の両著の序文をはじめ、そこに収められた論攷を注意深く読むと、先生の意識の底にある「いつまでも道に迷う人であり続けたい」という先生の願い・「入矢的」求道の精神が伝わってくる。十五年ほど前、雑誌『図書』で先生が書かれた「雲門の禅・その〈向上〉ということ」を読んだとき、恥ずかしいことではあるけれど、私は「向上」という言葉の従来の解釈の誤りを指摘した論攷であるとしか読めなかった。その語学的指摘が明晰で新鮮であることにひたすら目を奪われていたからであろう。しかしその後二年ほどして出版された『求道と悦楽』を読んだ私は、入矢先生がその「向上」という言葉を通して、自己完結することを嫌い、絶えず自己変革をしながら「向上」への歩みをやめない、永遠の求道者・迷道者でありたいという先生ご自身の精神を表白したものでもあることを感じとるようになった。この「向上」という主題は、だからこそ入矢先生のご著書の中で「主体精神」とか「自己変革」「超克」とかいった言葉と深く関連しつつ、しばしば取り上げられ続けたのであろう。

先生のことを個人的には全く存じ上げないけれど、しかし先生のそういう精神の在り方も、「私の家は浄土真宗でしたが、母は正に妙好人と言っていいような人でした。その母のおかげで、小学生の時からいろいろ深い影響を受けました」「父の蔵書の中に仏教とか哲学関係の本があり、そういうものを中学生時代から読みあさっておりました」(「臨済録雑感」)という先生の述懐を知れば、結果論的な理解にせよ、なるほどなと納得できるし、また一般論として幼き頃に刻印された心象が人の生涯にわたってその精神の志向を決定していることを改めて思い知らされる。

しかしだからといって、「transcendentalな筆致」(「老子断想」)を慎まれる先生は大げさな人生論とか宗教哲学や形而上学的な論を展開することはない。ではなぜ先生はご著書の題名までに「超越」という言葉を使ったのであろうか?確かにその序で、この『自己と超越』という書名は「永久に終わることのない求道の歩みのこと」であると説明がなされているし、それは相変わらず「自己向上」への不断の追求という先生の基本姿勢を表していることは理解されるが、しかし私にはさらに別の響きが感じられる。

 入矢先生は「正直のところ、私は中国に〈郷愁〉を感ずる底の人間ではない。それどころか、何年かの周期をおいて、中国からの離脱を強く欲する気持ちが私を激しくゆさぶる」(「吉川先生と中国と私」)、先生にそう感じさせるものは「〈人〉と〈道〉との間に断絶がないということ、〈道〉が常に〈人〉の近くにしかないということであるらしい」と語られる。あるいはそれは先生が時おり言及される宗教的苦悩の欠如した中国文化の徹底したオプティミズムに対する先生の違和感であったのであろうか?中国文化の宗教的感性の欠如にある種の違和感を持ちつつ中国の宗教思想を学ぶ私は、そこらの詳しい消息をいずれの日にか入矢先生に直接お目にかかれるときに親しくお尋ねしたいと願っている。「自己向上」は現世だけの課題ではないのであるから。
(1999年初秋)




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