出会いについて
丘山新 おかやま・はじめ 東京大学東洋文化研究所教授
■生きることは出会うこと
今日は出会いというテーマでお話をします。
もう二十年くらい前、四十歳ころのことですが、私はあるとき、フッと、もしも自分が今死ぬとしたら何を思うかと考えたことがあります。今までの人生は何だったのか、紙に書き出したものを読んでいて驚きました。何に驚いたかというと、それまで大学で長く勉強をしてきて、それをずっと仕事にしていたわけですが、学問のことは何も思い浮かんでこなかったのです。心に浮かんできたものは、自分が幼いときからそれまで出会った人たちのことばかりでした。出会ったさまざまな人が走馬燈のように心に浮かんでくる。それでわかったのです。自分にとって、生きることは「出会い」なのだな、と。因みに、走馬燈というのは、近年では、人が死に際に体験するといわれる一生の記憶のリピート現象の表現として用いられているそうです。
ところで、「出会い」ということで、私がつくづく面白いなと思うことは、何度も顔を合わせている人なのに、それでも会うたびに出会いを感じることがあることです。同じ人なのに、新たにまた出会った、と思うわけです。そして、私の理想を言えば、家族とでも、職場の人とでも、毎日、新たな出会いを感じられればいいなということです。
このところ最近注目されている研究の分野に脳科学があります。ひところはリチャード・ドーキンスが書いた『利己的な遺伝子』という本が世界的にも売れたそうで、遺伝子とかDNAという言葉が流行していました。そもそも人間の存在というものは、DNAの段階で自己保存本能が働いており、人間がエゴイスティックなのはその人の個体がそのように欲望しているだけではなく、すでに生命が誕生した時点から生物の遺伝子がそもそもエゴイスティックなありかたをして、それが私たちの性格や行動の基本を決めている、というのです。しかし、たとえば小泉英明先生のご著書に『脳は出会いで育つ』(青灯社)というのがありまして、この内容を私なりに簡単に申し上げますと、脳は白紙に近い状態で生まれてきて、脳の神経細胞が次第に結ばれてきて個性が出てくる、その結ばれ方は生まれて以来、外の世界との接触と交流とで形成されてくる、だから一人ひとりがどういう人と出会い、いかなる世界と交わってきたか、どういう人とどのような出会いをしてきたかで心のありようも形成されていく、というのです。生まれた瞬間にはDNAが支配的だけれど、そのDNAはその後も何ら変化はしない。けれども、生まれてしばらくの間はDNAや動物としての本能が支配的だけれども、脳や心はといった人格の中枢は、生まれた後の人びととの出会いと交流とによって、形成されてゆき、DNAの果たす役割の比重はだんだんと軽くなってくる、というのです。
■親鸞が出会ったもの
最近、しみじみ思いますのは、「親鸞聖人は出会いの人だった」ということです。彼は宗教や思想の世界で、類い希なる素晴らしい多くの出会いをした方だと、私は思います。親鸞聖人は、比叡山で修行をなさって二十九歳で山を下り、京都の六角堂に籠っていたとき、聖徳太子が観音さまの姿で現れた、そしてそのお言葉を聞いて法然上人のもとへ向かいます。そして、法然上人との出会いによって南無阿弥陀仏という念仏ひとつで救われると教わって、これだと確信する。親鸞聖人はたとえこの法然上人の教えが真実ではなく、地獄に堕ちることになってもかまわないとまで言う。それほどに、法然上人のおっしゃったことを絶対だと思うわけです。まず、聖徳太子と観音さまに出会う。そして、生涯の生き方を決める法然上人との出会いです。またさらに、後の淨土眞宗の在り方を決定づける恵信尼に出会います。そして「僧にあらず俗にあらず」という生き方をしていくことになります。
そして親鸞聖人は、誰よりも、何よりも大切な、阿弥陀如来と出会いました。詳しくいえば、『無量寿経』の中の阿弥陀仏の本願、つまり、阿弥陀如来が法蔵菩薩であったはるか遠い過去世で、一切衆生を救おうと立てた誓願に出会ったわけです。出会いというのは必ずしも人とだけではないのです。
因みに、私は仏教を勉強し始めたときに、本気で解脱しようと思って学んでいました。その時に玉城康四郎先生に出会いました。私は行者のような容貌と生き方をした玉城先生が大好きで、解脱したいという思いもどこかへふっとんでしまい、この先生の鞄持ちを一生やっていたいとまで思ったのです。私の人生にとって決定的な出会いでした。その後、長いこと勉強をしていて、現在は大乗仏教の理解に関して玉城先生とは些か異なる考えを持つようになりましたが、玉城先生との出会いがなければ、今の私はない、と思っております。
■「たまはりたる信心」
さて、親鸞聖人のお言葉をいくつか見ていきましょう。親鸞聖人の主著といえば『顕浄土真実教行証文類』ですが、これは普通には『教行信証』という名で呼ばれています。『教行信証』は八割ほどが経典などからの引用で、その間に「御自釈」といわれる親鸞聖人ご自身の思いが述べられています。その序文の一節を読んでみます。
▼ここから引用(1字下げ)▼
ああ、弘誓【ぐぜい】の強縁、多生にも値【もうあ】ひがたく、真実の浄信、億劫【おくごう】にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶【よろこ】べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへりてまた曠劫を径歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇ひがたくして今遇ふことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。
(『顕浄土真実教行証文類』序)
▲引用ここまで▲
弘誓とは、広大なる誓い、阿弥陀さまが過去世で立てた私たち一切の人びとを救おうという誓願のことで、その誓願はすでに実現されている。また過去世に立てた誓願という意味で、本願とも言います。その誓いには、いくら生まれ変わっても、たやすく出会うことはできない。それでも幸いにたまたま出会うことができたならば、遠いの過去からのご縁を喜びなさい、と。行信の行というのは、一般的な修行をすることではなくて、無礙光如来(阿弥陀仏の別名)の名をとなえること、それが行です。大行ともいいます。そういう字義どおりの「有り難い(出会うことが難しい)」出会いを、喜びましょう、ということなのです。このことを、親鸞聖人はしばしば「値」ということで表現します。現代日本語ではほとんど遣われることはありませんが、伝統的には、つまり仏教経典のなかや、碑文には「値仏」という言葉があり、これは「仏に会う、出会う」ということを意味するのですが、親鸞聖人はこの言葉を「もうあう」と読んでいます。また引用文にもありますが、「遇」という言葉も遣われます。いずれにせよ、親鸞聖人の著作には「あう(あふ)」という言葉が、際だって多く遣われていることも注目されます。
ところで、文中に「たまたま行信を獲ば」とありますが、真宗では「たまわりたる信心」、つまり信心というものは、自分で勝手に信じるわけではない、頂くものなのです。それが「他力」ということのいちばん大切な教えだと、私は思います。
■ 信心・菩提心・仏性
ところで、私たちは「発菩提心」、つまり菩提心を起こすと言いますが、親鸞聖人に言わせると、この菩提心も自分で発こすものではない。煩悩だらけの私たちには、そんなことはできるわけはなく、菩提心もまた信心と同じようにたまわったものだ、ということになります。
仏教が始まって以来、とくに大乗仏教では菩提心の完成をその究極の目的としており、親鸞聖人のお師匠さまの法然上人までは私の側から、つまり自力で菩提心をおこせというのですが、親鸞聖人になると徹底して自力を否定するのです。私たちの煩悩だらけの在り方の自覚が、ここにはあります。そういう私たちが、阿弥陀さまに出会い、信心をたまわる、それが他力の本質です。現代では他力というと人まかせなどというように使われているのはとても残念なことです。
もちろん、大乗仏教以来、非常に大切にされてきた菩提心を否定するわけではありません。ただ、私も親鸞聖人のことを学び始めた頃には、菩提心を発こすということと、信心をたまわるということとの関係が理解できなくて困ったのです。浄土真宗の教えではこれを、いわば「たまわりたる菩提心」と言うのです。つまり菩提心もたまわるものなのであり、菩提心をおこさせて頂くということでもあります。
また、大乗仏教には如来蔵とか仏性という考え方があります。これは私たち一人ひとりに仏になる根拠がすでに具わっているということです。そういうものが生まれつき具わっているというのですが、煩悩まみれの自分にそんな素晴らしいものが具わっているとは、私にはどうも思えなかったのです。でも親鸞聖人はこれもまた、いただいているもの、たまわっているもの、阿弥陀仏のはからいなのだというのです。
■「摂取して捨てず」
さて、先ほどの文中に「摂取不捨(摂取して捨てず)」という言葉があります。私はこの言葉が非常に好きなのです。すくい取って、どんなことがあっても捨てることがない、見放さない、という意味です。人間同士では悲しいことに、時には誤解もあって信じていた人とも別れていくこともありますが、仏さまは私たちを決して見捨てない、見放さない、というのです。先ほども言いましたが、『歎異抄』には親鸞聖人が法然上人の教えに付き従っていって地獄に堕ちてもかまわないとまで言っています。親鸞聖人がこのようなことを言えるのも摂取不捨の確信を持っているからでしょう。地獄に行こうがどこにいようが阿弥陀仏に救われている、と確信しておられたのでしょう。
「摂取不捨」には、私なりの思いがあります。三十代の初めに、この世の中には紛争や戦争が絶えることなく続き、私たち人間の心のなかには憎悪や醜い思いがある、こういう世界で苦しんで悪あがきすることに、どれほどの意味があるのだろうか、と祈りに近い思いで手を合わせておりました。さらに自分の個人的な苦悩もありましたし。すると突然、「そのままでいいのだよ」という言葉が聞こえてきました。肉耳で聞いたわけではありませんし、自分の心のなかのつぶやきを聞いたわけでもありません。とても不思議な感覚でした。私は、こんな苦しいのに、なにが「そのままでいい」のだ、と一瞬その声に反撥したのですが、直後に思いました。ああ、神や仏とは、具体的にはなにも手を差し伸べて助けてはくれないのだ。けれども、「世界中のすべての人びとがお前を見放し、見捨てようが、私(仏)はお前を決して見放さない、見捨てない」、それを伝えたくて「そのままでいい、そのまま安心して悪あがきを続けなさい」と語りかけてくれたのだと理解できました。私はそんなふうに受けとめたのです。その後、具体的な目前の問題は解決しないものの、私は相変わらず悪あがきを続けながらも、気持ちはとても楽になりました。
その当時は摂取不捨という言葉さえ知らなかったので、浄土の教での阿弥陀仏と限定した話ではないのですが、神さまとか仏さまというような、なにか私を超えた存在が、「どんなことがあっても私はお前を決して見放さないよ」と言ってくれたと思えたのです。これが摂取不捨の意味に近いのではないでしょうか?
さて、皆さまもご存知の、親鸞聖人の言葉として弟子の唯圓が書き記した『歎異抄』は、次のように始まります。
■ 他力の働き
▼ここから引用▼
弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。(『歎異抄』第一章)
▲引用ここまで▲
ここにも「攝取不捨」という言葉が現れていますね。
『歎異抄』というと、世間では直ぐに第三章の「悪人正機」の説、つまり「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(善人でさえ極楽に往生できるのだから、ましてや悪人は必ず浄土へ往生する)とうい逆説的な表現が有名です。しかし、私は、『歎異抄』で、さらには淨土真宗でのもっとも大切な教えは、この第一章に総てがこめられていると理解しています。
遙か無限の過去に阿弥陀さまが法蔵菩薩だった時、四十八の誓いを立てて、人びとを救うおう、それが叶わなければ阿弥陀如来になるまいと誓い、その菩薩は現在、阿弥陀さまとなって西方極楽にいる、つまり法蔵菩薩の誓願は実現しているのです。
そういう阿弥陀仏の不可思議な、つまり人間の思議とはからいを超えた誓願の働きに助けて頂いて、「往生をばとぐるなりと信じ」るのです。くどい説明は不必要かとも思いますが、再度確認しておくと、ここで「信じる」というのは自分の意思や決断で信じるのでは、決してありません。なぜなら、すでに見たように「たまはりたる信心」、つまりそういうふうに信じることさえも、阿弥陀仏の働きで信じさせられるということなのです。
「たまはりたる信心」というと、なにかモノ的な心を頂くように考えがちですが、それもまた間違いです。原始仏教以来、そういうモノ的な存在のとらえ方は否定されているのです。信心というのは、そういうモノ的なものではなく、「働きそのもの」「働きそのこと」なのです。阿弥陀の今も変わらずに働き続けている本願力、願いの力を受けとめること、それが信心をたまわるということです。親鸞聖人が、阿弥陀を光と受けとめ、無礙光如来とも表現しているように、仏、阿弥陀仏のもっとも大切な意味は、働きそのものです。極論すれば、仏さま、阿弥陀仏が存在するだけなら、私たちとの関わりはできない、関わりはないのです。仏さまや阿弥陀仏が光として私たちに働き続けている事実が何より大切なことがらなのです。
この「信じる」という言葉は、とても微妙で難いいことを含んでいると私は思います。私たちは日常的にも「信じる」という言葉を遣います。しかし「信じる」というのは、私たちの心の、意識のどういう働きなのでしょう?私たちが普段、何気なく言う「信じる」とは、「自分はそのように思い込む」あるいは「私は勝手にそう思っている」という意味に近いことが多いのではないでしょうか?親がわが子に、あるいは教師が学生や生徒に、「お前を信じていたのに」、というような言い方をしますが、子どもや学生、生徒からすれば、親や教師がそんな勝手な思い込み、勝手な期待をしないでよ、といった気持ちでしょう。つまり、私が日常的に何かを信じると言うときは、私が「主体的に」また私の側から勝手に相手にそうであってほしいと期待し、願うことを意味しているのではないでしょうか?
ところが親鸞聖人の場合は、自分の力で信じるという考え方をしないのです。つまり、自分が勝手に救われると信じ込むというのではないのです。
こう考えてはどうでしょうか。私たちは棒の先に羽根のついた「かざぐる」まだとします。阿弥陀さまが伝えてくださる本願の働きを受けとめて、かざぐるまが回り出す。その外からの働きかけに呼応するのが信心です。かざぐるまというモノがあっても風をキャッチするというハタラキがないと回らないのです。
本願力というのは本当に「力」なのだと思います。誓願の力が私たちに届いて働き出すのです。その本願力をいただいているというのが、「たまはりたる信心」ということなのだと思います。これが「他力」のもっとも大切な意味でしょう。
■祈りとは受けとめること
親鸞聖人の出会いというのは、阿弥陀さまとの出会い、もっといえば、本願力と出会ったということを実感することだと思います。実感というのは、自分の思いこみや、書物を読んで理解するのではなくて、外からの働きに応じて心と身体とでうなずくことでしょう。
淨土眞宗では祈りというお言葉を遣わないそうです。しかし、祈りというのは、究極的には願い事をすることではないのです。願い事というときりがないように見えて、願い始めてみると意外に続かないものです。それが尽き果てた時に、向こうから来てくれるものと出会う。祈りというのはそういうものではないかと、これは私が勝手にそう思い込んでいるのですが。
つまり、祈りというのはこちらからお願いすることではなく、何かを受けとめることではないか、と。姿勢でいうと、合掌した手を開いて、両手の掌を上向きにして、届けられるハタラキをキャッチする、それが祈るということではないかと思うのです。そういう意味では、祈りもまた念仏と同じことになるのではないでしょうか?
▼ここから引用▼
聞くといふは、本願を聞きて、疑ふ心なきを聞といふなり、また聞くといふは、信心をあらはす御のりなり。……信心は如来の御ちかひを聞きて、疑ふ心なきなり。……真実信心をうれば、すなはち無礙光仏の御こころのうちに摂取して捨てたまはざるなり。
(『一念多念文意』)
▲引用ここまで▲
親鸞聖人は、阿弥陀さまの誓いを、その働きを疑う心なく受けとめることを「聞く」ということだとおっしゃいます。「聞信」という言い方もありますが、これは簡単なことではありません。本願が聞こえてくるというのは、言葉として聞こえるだけではないのでしょう。本願が響いてくる、伝わってくる、もう疑う余地もなく届く、それが信心そのものだというのです。
そういう受けとめ方が実感できれば、もう無礙光仏が間違いなく摂取してくれることが確信できるのだ、と。無礙光とは、さまたげることなき光ということです。どこにでも行ける光ですから、私たちの心がどんなに凝り固まっていても届くということです。そのような光として仏さまが救ってくださっている、というのです。
■他者の再発見へ展開
仏教の思想史で「出会い」ということ確認しておきます。
仏教では、この人生は苦しみに満ち満ちたものであり、それを四苦八苦という言葉で代表させていますが、その中に「愛別離苦」「怨憎会苦」という苦があります。つまり、人間関係は苦しみをもたらすというのが、仏教の基本的な考え方です。だから原始経典の『スッタニパータ』では「犀の角のようにただ一人歩め」といった教えがあるのです。人と付き合わず、ひたすらに解脱・涅槃を目指して修行しなさい、と。この「人間関係は苦をもたらす」という認識は、確かに鋭い人間観察で、現代でもその状況に変わりはありません。そして、それを二千年以上も前の人がすでに気づいていた、ということもまた驚きです。
ところが、大乗仏教というのは、人と共に生きていくという願いを紺音としていると、私は受けとめています。人間関係だけで考えると、原始仏教とはまったく正反対です。たとえば『維摩経』という経典では、世界で誰かが病んでいるかぎり自分も病むのだと、まるで運命共同体みたいなことを説くのです。菩薩行とか利他行と言われるものがそれです。いくら苦しくとも、人間関係は否定されるものではなく、そこにこそ人生の、宗教的目覚めの本質が隠されている、というのです。
では実際にお釈迦さまはどうだったのかと言いますと、これは難しい問題です。お釈迦さまは六年にわたる修行、苦行の果てに悟りを開いたといわれます。お釈迦さまはその後数週間、瞑想に入っていました。そこで最後に梵天が登場して、どうか人びとのために教えを説いてくださいと頼む。お釈迦さまは最初、いや教えを説いたところで誰もわかってくれないから徒労に終わるだろうから、と躊躇するのですが、最終的には、では説こうと決心します。これを「梵天勧請」と言います。
お釈迦さまの教えは、一人で歩みなさいということを基本としたものでした。しかしお釈迦さま自身はこうして目指していた解脱を実現し、その後、改めて人と共に生きようと決意した人なのです。つまり、のちのち大乗仏教が生まれる原型が、お釈迦さまにはすでに具わっていたと私は考えています。
初期仏教が説く解脱・涅槃を目指す人生が「自己の探求」であるとすれば、「人びと共に生きていこう」という大乗仏教の菩薩たちの生き方は、「他者の再発見」とでも言えると思います。この「自己の探求」から「他者の発見」へという流れは、仏教に限定されることではなく、インドにおける当時の歴史的な大きな時代思潮の展開です。なにも仏教の中だけの特殊な問題ではありませんでした。
人との関わりは、それが苦をもたらすことがあるにせよ、人間存在の基本的な事実です。大乗仏教を生んだ紀元前後の人々は、そういう人間関係の中に限りない大切さを見出したのです。つまり「出会い」の大切さに気づいていたわけです。
■相互に応答する信
私たちが本願力を受けとめるというとき、それは無始以来、未来永劫に働き続けている力を受けとめ、実感するということだと思います。ちょうど太陽の光のように、どんな時にも常に私たちに降り注いでいるのです。私たちはかざぐるまのように、その風を、その光をいただいているのです。
不思議なことに、その時、私たちが本願力を受けとめているとともに、同時に阿弥陀さまもまた私たちを受けとめてくださっているのだと思うのです。私たちの側から語れば「たまはりたる信心」、阿弥陀仏の側から言えば「摂取不捨」ということです。阿弥陀さまが私たちを受けとめている、私たちも阿弥陀さまの力を受けとめている、相互の「受けとめ」あるいは「応答」としての信、と言えばいいでしょうか。
本当は、阿弥陀仏と人間個人との関係だけではなく、人と人との関係も、またそういう受けとめ合いであればいいなと、私は最近つくづく思います。阿弥陀仏と私たちが「縦の攝取不捨の関係」であるとすれば、私たち人間同士の「横の攝取不捨の関係」が実現するのは不可能なのだろうか?しかし、大乗仏教が強調する慈悲や利他行の根本には、そういう人間同士の互いの「攝取不捨」の誓いがなくてはならないのではなかろうか?そ一人ひとりがそういう誓願、誓いをもって生きていこうとうのが、大乗仏教の根本的な願いなのだと、私は理解しています。
人と出会った時に、相手を相手のままに受けとめられる人間でありたい、と。自分がこの人に出会った、というだけではなく、出会わせていただいている、相手に受けとめていただいている、私が信じるのではなく、信じさせていただく、日々にそういう出会いに生きていきたいと願っています。
〔おわり〕
このお話は、二〇一〇(平成二十二)年四月十日の在家仏教協会東京講演会の筆録に加筆修正したものです。(編集部)