古典学の再構築    上山先生 対談シリーズ(2001.2.23)

【世界地図としての古典学】

 丘山 今日は、上山先生に古典学に関する基本的な考え方をお聞かせいただき、そしてできれば私が学んできた仏教を題材として、先生よりご意見をいただきたいと思っております。

 上山 私のほうとしては、こういう機会に、僕と比べてかなり若い研究者の方にフレッシュな問題意識を承って、少しでも栄養にしたいと、欲張りなものですから、そういうことを考えているわけです。そういう点では、全体としてきょうの対談のテーマは大きく、インド大乗仏教の基本的なとらえ方の問題ということになりますね。

 ところで、丘山さんは京都大学で物理学を勉強なさったと聞いていますけれど、なぜ、仏教を学ぶようになったのですか?

 丘山 物理学の研究でも、日本では湯川先生や朝永先生などがいらっしゃり、その研究を通して、あるいはその経験にもとづいて、確かに世界観や人生論のような域にまで踏み込んだ発言をなさったり、ものをお書きになっています。特に理論物理学とか数学という学問は、どこか形而上学的な美しさがある。しかし、現実に物理学とか天文学をやっている最中には、どうしても考える対象が外的な自然世界に向かっており、しかもそれに専念せざるをえない。しかし私の場合、物理学を勉強しながら、生きることそのものを思索の対象にしたいという思いがどんどん大きく募ってきたものですから……

 上山 というのは、物理学では生きることを思索するのに直接にはつながりにくいということですか?

 丘山 その当時はそう考えました。それで形而下の学から形而上学への転向だと嘯いて、西洋の哲学を勉強していたのですけれども、どうも近代以降の西洋哲学を眺めていると、彼らが何を目的として思索し続けてきたのかが、私にはよく見えてこなかったのです。で、しばらくして、ラーマクリシュナとかオーロビンドといった、20世紀のインドの宗教思想家たちの著作に出会いました。これはわかると思ったんです。それはなぜかというと、やはり私は生きることを真正面に据えて勉強し思索していきたい。ところが、カントやヘーゲルといった西欧哲学の典型的な哲学者の著作をそのまま読んだだけでは迷路に入りこむだけで、人生を思索するのになんの手がかりも与えてくれないと思ったのです。

 上山 大分遠回りになりますからね。西洋哲学の場合は、目標にすぐこちらのピントが合う形でなくて、そちらへ届くために非常に遠回りなところから始めますからね。

 丘山 そうです。ところがインドの宗教思想というのは、表現ではさまざまな言い方をしますけれども、結局目指すのは、解脱、つまり生きることあるいは生存そのものの苦をどういうふうに克服するかということで、哲学は極端に言えばそういうことに奉仕するものだ、あるいはそういう目的実現のためのプロセスなのだというふうにはっきり位置づけがされているような印象を受けて、これなら解る、共感できると思ったのです。

 ヨーロッパ世界の文化というのは、キリスト教と哲学との間に、点線程度ですが、線引きがあるような気がしたのです。

 上山 ある意味で、苦労してそれを強めていったわけでしょう。しかし、すっかりドッキングしてしまう時期もあるでしょう。スコラの中のトマスなんかだとアリストテレスと。だから、18、19世紀のあたりになって、少しずつそこの間にすき間を入れていく努力をしたのではないですか。

 丘山 それがかえって素人には信仰か理性かの二者択一的な在り方に映ってしまったのだと思うのです。ところが、インドは、ある意味ではそれが一貫して混然一体となっている。あるいは目指すものがはっきりしている。そのための思索なのだという位置づけが明確なのです。

 上山 おっしゃるとおりですね。だから、仏教に非常に影響を受けた西田幾多郎先生なんかは、今おっしゃったような混然一体となったスタイルを持っていますね。僕なんかは、あれでは難しかろうと途中で思ってしまったんですけれども、その混然一体としているところが人を惹きつけるんですね。ともかくあれで惹きつけられる人はたくさんいるわけだし、僕らも初めは惹きつけられたので。けれども、これでは人生論に終わってしまうかなという感じが出てくるんですね。

 丘山 私から見ると、ヨーロッパの場合、先生のおっしゃっていることの裏返しなのですけれども、例えばアリストテレスやトマス・アクィナスなどのきちっとした形而上学よりも、かえってソクラテス、プラトン、あるいはアウグスティヌスとか、またパスカルといったいわゆる人生論的、あるいは実存的なもののほうが……

 上山 それは、あなたに限らず昔の旧制高校の生徒はみんなそこへ行ったわけですね。プラトンとかアウグスティヌスとか、そこへ行ったと思います。

 丘山 しかし、先生はなぜ人生論風ではない体系性をそなえた理性としての作業ともいいうる哲学のほうにより魅力を感じたのでしょうか?

 上山 それは、やっぱりそこで普遍性という問題が出てくるのだと思うのですよ。自分がどう生きるかということが世界の構造を背景にして把握できるという、より広いというか、より説得力のある形というものが欲しくなるということがあるんじゃないでしょうか。あなたの場合には、またこういうこともあると思うんですよ。つまり物理から入られる。特に理論物理ね。そういうところで、実証性まで行かなくても論理性をふんだんに堪能しているから、どこかで飢餓感がないんですよ。哲学の世界でなくても、デモクリトスとか、そういうものをずっと背後に積み上げているわけですね。そして、いろいろな観測理論とか、そういうのも織り込んでいるわけですね。そんなものは、あなたの世代になると、非常に手軽にというか、割と早い時期にすっとやる。この前、学術会議の吉川先生が言われたように、自然科学というのは、そういう過去の長い難しい伝統を非常にきれいに整理して、習得しやすい形にしてくれている。また、それが一番進んでいるのが物理学ですからね。

 あなたは幸いに、そういうところで理論的な構築の世界についてはなじんでしまっているから、飢餓感がなかったんだと思うんです。飢餓感はむしろ、生きることという、あそこが外している話だと思う(笑)。

 丘山 普遍性よりも、人間一般でなく、この私こそという……。

 上山 その普遍性というのが、余りにも普遍的過ぎて、例えば非常に単純な世界地図で裏の山を歩く足しにしようなんていうのと一緒で、何の役にも立たないわけですよ。世界地図だったら点みたいなものでね。人間の世界というのは特殊の特殊で点みたいなものですからね。物理学ではそこについての情報はくれないわけですね。世界地図で裏山を歩くようなものです(笑)。ここにはやっぱり5万分の1の地図だとか2万5000分の1の地図がいるわけですね。

 だけど、その世界地図が欲しいということになってくると、単にいかに生きるかでなくて、その道は一体どういうコースになっているかということが問題になってくる。その程度のサイズのものが、哲学のほうの論理性として僕らがまた欲しがった何物かかもしれないとは思うんですがね。

 丘山 今お話をお伺いしながらふっと思ったのですけれども、私も「古典学の再構築」のいろいろな講演会とかシンポジウムに出ていて、皆さんのお話を聞いていてどうも腑に落ちなかったのです。つまり、どうしてもっと自己の問題に引きつけて考えないのか、あるいは自分の生からの問題意識はどこへ行ってしまったのだという気がして。だから世間からは、古典学とか人文学とかは、そんな役に立たないことをやって何になるのだという批判を受ける。少々暴言になりますが、だからもっと自分の生きることにかかわらせて古典の研究をすれば説得力もあるのだといつも感じていたんです。少なくともそういう側面をもっと全面に出してもいいのではないか、と。しかし今、上山先生のお話をお伺いしていると、それはある意味では短絡的であって、そうではなくて、物事を考えるときに、より広い世界地図的なものをみんなでつくりながら、一人一人が個人的に道を歩くときにそれを見ながら歩んでいく。そのためには、一見遠回りになるような、基本的な、基礎的な研究がいかに大事かということにも結びついていくような気がしました。古典学のひとつの大きな役割として、そういう人間と世界に関する地道な世界地図つくりの作業なのだという点をもっと強調してもいいのではないか、とも思います。

 上山 今の比喩で言うと、あなたの最初になじんだ地図は、世界地図どころじゃなくて宇宙地図だからね。(笑)だから宇宙から飽き飽きしているわけよ。だから、その逆の、いかに生きるかという点みたいなところに収斂すべきじゃないかとか。僕もそれは正論だと思いますよ。それに、そういう人生論風な問題意識は、古典と研究する場合にも本当は必要条件だと思うんだな。だけど、そういうことを言っていたら、学問人口がむちゃくちゃ減りますからね。だから、古典研究者もそれなりに人生の問題をどこかで考えているんだろうというふうに考えて、今のような、論理と人生の生き方との接点みたいなところで議論していく以外ないと思うんです。確かに、あなたのおっしゃったように、仏教の思想というのは、ストレートに生きることに集中していると思いますね。

 丘山 仏教は、単に信仰ということでなく思索も重んじるということで、理性的な働きというのも重視したいという思いの強い現代的な人間には、魅力があると思うのです。


【自己の探求から他者の発見へ】

 上山 丘山さんは、仏教思想史のなかでのブッダの位置づけだとか、新しい大乗仏教の意義づけを考えている。そしてさらには、中国の仏教を中国思想史という大きな川の流れの中で位置づけようとしている。しかも、ただの中国思想史というのではなくて、世界思想史というか、人類思想史というか、そういう中で中国の仏教を位置づけるという、学問の上では非常に大きな一つの画期があなたに来たのかなと僕は思うんですね。

 よく親しまれている、ヤスパースの「軸の時代」にアクセントされたという、その世界思想史のエポック。それは一重ではなくて二重になっているんじゃないかという――そういう言い方をされるのかどうかは知らないけれども。

 まず自己の発見を、ということ。つまり、自己に焦点をずっと絞り込んでいって展開させてくるある世界。それから、自己にだけ収斂していくのではなくて、他者というものを含み込んだ形で考えを展開していくという一つのエポックがあったのではないかと。

 そして、大乗仏教とかキリスト教が他者というものを発見していく形として、その前のブッダとか孔子とかソクラテスたちのエポックと違う役割を持っているのではないかという提言があるわけですね。

 中国仏教史でいえば、大乗仏教というものが中国に根をおろしていく一つの背景として、そういう大きな世界史的な見取り図を出されたわけですけど、それは相当大きなことで、ある意味でインド思想史だとか中国思想史というものを超えた、非常に広がりのある展望につながっていくと思うし、僕にとっても大変魅力的だと思う。 それはそうと、こういう、図式というと何ですが、一種の世界思想史図式みたいな。そういう軸になる時期を二重にしたというか、個の発見ということから他者の発見ということ。仏教でいうと、原始仏教から大乗仏教へというふうな。世界的な規模でそういう二段階の展開があるんじゃないかと。そういうヒントはまずどこからあったんですか。

 丘山 はい。私は、いつも素人的な発想で、素朴に仏教って一体何なんだろうと考えてきました。思想的にもさまざまに展開し、教理的にも多様な仏教のエッセンスはどこにあるのだろうということです。

 私がついていた玉城先生は、上山先生もご存じだと思いますが、すべてはゴータマ・ブッダが体現した永遠の理法とも言いうるダンマで、初期仏教から大乗仏教、さらにはインド・中国・日本の仏教を一貫して筋を通して理解できる、ダンマから外れた学派や思想はゴータマ・ブッダの仏教の道からずれることになると考えるのです。それはひとつの解釈として私にはとても魅力的でした。けれども、どうも納得できないのは、それだけで大乗仏教は理解できないんじゃないかと思うようになりました。新しい経典をつくり出すというのは、もの凄い冒険であって、よっぽどの精神的な内的なエネルギーがなければできやしない。「原点に返る」という常套スローガンで初期仏教の経典をそのまま奉じつつ、解釈のし直しだけで済むのではないのか、と思ったんです。

 初期仏教の経典というのは基本的にゴータマ・ブッダが説いたことを伝承してきたという建前があり、解脱・涅槃を唯一の目的としたひとつのまとまりを持っているような経典群になっていて、経典の多様性といっても一つにまとまっている。ところが、大乗仏教の経典というのは、それを、唱え講じていった人、つくり出していった人たちは時代的にもばらばらで、だから初期仏教の思想のようには内容的に統一して理解できない多様性がある。例えば『法華経』と『華厳経』、あるいは『般若経』とか『涅槃経』、極端な場合、浄土教の経典なんかも大枠で大乗仏教の経典というふうにくくって言うのはどうして可能なのだろう。

 今まで大乗仏教の研究をなさっている方々が、大乗仏教の教理的特徴を整理しておられるのですけれど、じゃあ、一体何でそういう新しい教理をつくりださなければいけなかったのか。新しい経典をつくり、場合によっては従来の教えを真っ向から批判するような新しい教えを唱えていった人たちの情熱、魂の願いみたいなものを、私は知りたかった。 それで私は、後世の注釈書や近現代の研究書は取りあえずわきに置いておき、大乗の経典そのものに向きあってみようと考えたのです。で、大乗経典を読んでいると、初期仏教経典にはほとんど見られない「一切衆生(サルヴァ・サットヴァ)」という言葉が、大乗経典になると非常に多く出てくるのに気付きました。しかもそれまでの凡夫とか愚者といった否定的な、マイナスの価値を与えられた言葉ではなく、一切衆生という言葉は、それが使われる文脈の中では、救済の対象であり、あるいは共に生きる他者と解釈できるものなのです。そこで私は、大乗仏教という宗教運動は多様性を示してはいるけれど、その底流には他者への目覚めという、従来には発露していなかった実存レヴェルでの自覚が生じたのであろうと仮説的に考えてみたのです。この他者に目覚めていくということは、単なる私の思いつきではなく、大乗仏典を読んでいると、文献的にも確かめられることなのです。 もちろん、この他者の発見という鍵言葉で大乗仏教を単純かさせてすべて理解できるとか、それを枠組みにして囲い込めるとは考えていませんが・・・

 大乗仏教というのは一体何なんだろうということで、気になっていたのは――大乗経典のひとつである『十地経』を読んでいるときに「慈悲」という言葉というか概念がとても気になりだしました。端的に言ってしまえば、慈悲の根拠はどこにあるのか、ということです。キリスト教で言えば、神からの愛が人を通して隣人へと働き出すのが隣人愛であって、理屈としては非常に解りやすい。それに較べると、瞑想としてではなく、実践としての慈悲という思想が大乗仏教になって本格的に出現してきたにもかかわらず、慈悲の思想はこの2千年間ほどお題目になってしまっていて、思索されてこなかった。今のヨーロッパで盛んに議論されている他者問題にも展開するような大事なことが、すでに大乗仏教でも萌芽としてあった。

で、十地経なのですが、この経典は大乗菩薩の修行の階梯を十段階に説いた経典なのですが、慈悲の出現という問題があって、それが第一地と第五地とにおいて繰り返し説かれるのです。世界を、そこにいる衆生を観察せよと言うんですね。すると「マハーカルナー  プラードゥル・ババンティ」、つまり大慈大悲が現前してくる、目の前にあらわれてくると説かれているのです。私の今の考えでは、一切衆生をあるがままに観察すること、そのことによる他者との深い関わりの自覚という点こそ、大乗仏教の慈悲思想の根幹だと考えています。

 「サルヴァ・サットヴァ」という言葉は、これは大事な言葉だろうと思いまして。で、自分が生きるときに他者をどうとらえるかというのが、原始仏教あるいはゴータマ・ブッダ型の仏教とは180度違う方向に向かったんじゃないかと思ったんです。そういう意味でもう一つ違う段階を迎えたんだというふうに、インド仏教のことでは思ったんですね。


【思想史の転換点】

上山 丘山さんは、しかしそれを仏教の枠内だけで考えているわけではない、そこが私にはとても魅力的ですね。ヤスパースの「軸の時代」にアクセントされたという、その世界思想史のエポック。それは一重ではなくて二重になっているんじゃないかという。そこのところをもう少し。

丘山 もちろん私は世界思想史といった大げさなことをかんがえていたわけではありません。ただ、自分が気付いたインド仏教思想史内での展開は、それはひょっとすると、仏教の中だけで展開したのではなくてインドのほかの時代思潮と連動しているんじゃないかと、推測してみたのです。ブラフマニズムからヒンドゥイズムへの展開は、初期仏教から大乗仏教への展開と平行現象としてある。それは単に時代的に平行展開したと言うだけでなく、思想的な展開の平行現象があるのではないか?共通の土壌があるのではないかと考えました。従来でも、エリートの宗教や思想から庶民を含んだ宗教へという説明はあり、確かにそういう説明は可能なのですが、あまりに面白くない。内容的にどこまで実質的に共通性を持っているか、それはわかりませんけど、時代的に同じような連動の仕方をしていくというのは、やっぱり何か時代思潮的な展開があったんじゃないかというような気はしたんです。ウパニシャッドの思想から、たとえばバガヴァッド・ギーターへの展開などにも、そのようなことを感じました。しかし私はインド思想の専門家ではありませんし、やはりこの点は、インドの研究をしている人にいろいろ教わりたいなと願っているんです。


 ところで、素人的にヨーロッパを眺めると、どうも……。いや、これは上山先生にお伺いしたい(笑)。ギリシャあたりが目指したのは、自然科学的な関係ももちろんベースにはあるんでしょうが、大ざっぱな言い方をすると、問題関心はやっぱり自己とか、あるいはイデアの世界とか、そんな気がしたんですね。

 そこから新約のキリストの時代になるまでは、旧約の時代があるわけですけど、新約の時代、イエスの登場というのはどういう意味があるのか。いわゆる教義とか解釈ではなくて、思想史的に、あるいは世界史的に見てどういうことなのかというふうに思うと、何となく仏教の思想史的展開と近い類似性、他者の問題、つまり隣人愛ということが強調されるようになってきていて、他者への目覚めというか、人間の基本的なあり方で自己と他者は切り離せないんだという自覚――自覚という言葉ではないにせよ、少なくともあらわれとしてはそういうふうに解釈できるような気がしたんですね。

 上山 仏教なんかの場合、あなたも書かれているけど、ブッダというのは確かに自己に集中していますよね。そして、瞑想の中で自己が苦しみから離脱するというところへ焦点をずっと絞っていろいろなものを展開していきますね。それをまた仏教の集団として専門僧侶たちが同じく探求していくわけですね。

 そのときに、集団が成立するための必要条件として、「戒定慧」と言われますけれども、苦しみから離脱していく教えを追求していくための条件づくりとして戒律を設けるわけですけれども、大乗は明らかにその戒律に関しては違う形に、非常に緩くなった感じを受けるんですね。ここのところは、自己を追求していく、自己を中心に苦しみからの離脱というものを追求する集団とは全く違ったというか、それを守るのに必要条件としているものを取っ払っていくような、それが解けていくような面が出てくるということは、そういう修行集団と違う人たちをも入れたユニバースでもう一回考える、もしくはディスコースというか、そういうものをつくりなおさなければならなかったという状況があったのかもしれない。それが『大乗経典』という新しいディスコースの展開へという。

 よく造形のほうでは、塔というものが実現し出して、僧侶の修行の場と違ってお参りする場所がそういう周辺にできてきたあたりからいろいろな像が出てきたりするというように仏教律のほうで言いますね。

 ああいうふうな、新しいディスコースというのが、ただ言葉だけでなくて、いろいろな文化というか、造形の面にまで発揮してくるエポックが何かあったのかもしれませんね。それをあなたは「他者」という一つの言葉で収斂しているわけですけれども。それは、ある意味で、そういう人たちを含んだ世界でもう一度考え直すというか。そこには愚者もいればとんでもないやつもいるわけですよね。

 丘山 まさにそれをも取り込んだという。

 上山 そういうところで考え直さなくちゃだめじゃないかと。狭い、戒律で縛って囲いをした中だけで純粋化していって、確かにそれはお釈迦様の言うことをきちんと守っているんだけれども。そういうのが維摩経なんかで冷やかされるわけですね。その枠の中で何をしているんだと笑われるわけですよね。


【津田クリティカル理論】

 上山 ところで、丘山さんが考え提起している初期仏教から大乗仏教への展開のひとつの解釈に対して、ほかの仏教研究者の方々はどうなのでしょうか?

 丘山 玉城先生は一昨年に亡くなりましたが、玉城先生のダンマによる仏教理解はやはり私の仏教理解の出発点になっています。しかし大乗仏教の解釈については、私は玉城先生の理解を批判しているわけですが、この点に関しては玉城先生とは生前にしばしば議論しました。玉城先生の所謂ダンマ理論にも、私から見ると展開があり、そこにはやはり他者への配慮が加わってきたように私は感じています。いずれそれに関しては書くつもりでいます。

 大乗仏教が形態的にどのように成立してきたかに関しては、下田正弘氏や佐々木閑氏といった若い人たちが面白い議論を提起し、国際的な議論を展開しているのですが、やはり思想的あるいは思想史的に私が関心をもっているのは、やはり津田真一氏の研究です。津田さんには大学院時代からお世話になっているんですが、初期仏教の宗教的目覚めのスタイルと大乗仏教のスタイル、津田さんの場合はさらに密教を視野に入れて考えているのですけれども、私が考えていることと本当にかみ合って議論してくださるのは津田先生で……

 上山 そうでしょうね。先ほど言ったような規模での話だとかね。

 丘山 津田さんも、私と同じように、初期仏教つまりゴータマ型の目覚めと大乗型のという、ちょっと簡略化し過ぎかもしれませんが……

 上山 まあ簡略化しましょう。

 丘山 そのふたつが基本的に背反したもの、ゴータマ・ブッダの思想からは離反したものと考えます。そのときに、私はやはり段階説のような気がするんです。成熟したんだという。しかし津田さんはそれは、「クリティカル」という一つのキーワードですけど、二者択一だと言うんですね。私は絶対それは――絶対にというか、認められないというか(笑)。ただ、歴史的には、確かに津田さんのおっしゃるようにどちらかのスタイルでやってきている。歴史的にはそれはそうだと思うんです。

 上山 そういう図式を津田さんも書いているじゃないですか。こういう線形になって。あの着想というか、図式というもの。それに歴史性が少し薄いということですか。

 丘山 ええ、そうです。

 上山 クリティカルな線を真ん中に引きまして、小乗がある意味で自己中心的なところから始まってきて、大乗になるとその線を越えるんですよね。一遍越える。そういう図を描くということは、結局、時系列でやっているわけじゃないですか。(笑)それで、先に来ると密教。縦線が時間軸になっているじゃない。価値的に真ん中の線を引いて、右と左というか、クリティカルな線か何かで。それは同列かもしれないですよね。しかし、移っていくのが時間順序になっている。(笑)

 丘山 そのとおりです。ただし、それらは時間的な差異をもって出現はするけれど、同一平面上にあって、二者択一の選択肢となっている。それは評論家的な態度としてはあり得ても、選択不可避とご本人も言っていることですから、私としては是非津田さんにも選択してほしいと。ただ、津田さんには、「君が考えているのは、君の願いとしてはわかるけど、それは学問としてはだめだ」と言われましたけど(笑)。

 上山 歴史の上に乗っけるとごまかしが出てくるわけね。後のものほどいいという固定観念があるわけでしょう。その辺が難しいですね。この宇宙全体、地球全体を非可逆的に展開していると見たら、その非可逆性というのはある意味で一方向性をつくりますからね。だから、それが価値序列でなくても、いろいろなものが滅びへ向かっているのかもしれないけれども、ともかくその次元の上で変化しているということは事実だけど、その変化の上に乗っかると論理が非常に乏しくなるということは言えますね。だから一応それを消したつもりになって論理性を出すというのが、津田さんのいいところだと、僕は思うんですよ。

 丘山 私は、そういう意味での基本から考え直す仏教学という意味では、津田さんにはすごくたくさんのことを学んでいるような気がします。

 上山 僕は、津田さんのあの議論は密教の世界では画期的で大変な問題提起だと思いまし、あなたがたの議論がどのように発展していくか楽しみにしています。


【誓願から陀羅尼へ】

 上山 ところで最近、江戸時代の慈雲という人の『梵学津梁』というのを、あれは見当がつかないのでやっているんですけれども、その中で彼が『華厳経』の中の、基本的には『四十華厳』だと思うんですが、『入法界品』の一番しまいの『普賢行願讃』というのをもの凄く大事にするんです。

 そこに、普賢菩薩の十大願という、十(とう)の願いというのがあるんですね。これは徹底的に大乗の精神なんですね。そして結局、そこが密教の第一歩だと言うんですね。普賢の十大願を自分の願いとしてやることが出発点だというふうに持っていっているんですね。

 丘山 『普賢行願讃』の誓願については私も非常に興味をもっていました。初期仏教的な目覚めのスタイルだと、ある完結の時点があるような気がするんですね。つまり、ゴータマ・ブッダは、律やウダーナなどでは35歳のときに目覚めたことになっていて、「これでカタム・カラニーヤム、つまり、なされるべきことはなし終えられた」というふうに言ったといわれるんですね。つまり、そこの時点では一応彼自身の修行的な目覚めは完結したんだという宣言だと思うんですね。

 ところが、大乗仏教型の宗教的目覚めではいったい完結はどうなるのだろう?完結するということはあり得るのだろうか?そこは先生、どうお考えで……。例えば先ほどの『普賢行願讃』の十の誓願の問題でも、『十地経』にも最初、初歓喜地で誓願を十立てるわけですけど、しかし誓願は100%実現されるような……

 上山 ものではないでしょう。誓願そのものは。

 丘山 少なくとも私たちの常識では。

 上山 それはそういうものじゃない。あくまでも願いでとどまるものですね。

 丘山 そうすると、少なくともその誓願を実現……。

 上山 誓願を誓願することに意味があるんですよ。(笑)

 丘山 それはそう思いますけど、少しごまかしだと思いますね。

 上山 いや、ごまかしというか、大乗仏教というのはそういうものだと思うんですけどね。というのは、そういう知的にかちっと理解する人だけのあれじゃないですからね。ブッダの悟りを自分の悟りとしてコピーできるような優等生だけの世界でなくて、全然はしにも棒にもかからないやつと一緒に救われていこうとしたら、さっきディスコースと言いましたけど、言葉が変わるんですね。広い意味の言葉ですよ。ディスコースが変わるんだと思う。だから、あなたは優等生のほうのディスコースで、終わりがあるかとか何とかと言っているというと、ちょっとけんかを売ることになるかな(笑)。  そこはちょっと雰囲気の世界とかね。例えば、ガリレオなんかで第一性質と第二性質というのがありますね。第一性質で語ろうやという約束をしますね。それ、やめとけと。においとか色も入れようじゃないかというのが大乗仏教ですからね。(笑)だから、きちっと出ないと思うんですよ。

 だから、あの世界は非常に視聴覚的になってくるんだろうと思いますよ。原始仏教の世界は非常にサイレントな世界だと思うんですが、ここは一緒に浮かれて救われていこうという、踊り狂ってという感じというか。芸術と一緒になった世界になるんじゃないかしら。だから、しきりに仏像が出てきたり、画が出てきたり、真言密教だと曼陀羅というような、あんな華麗なものが出てきたり。

 あれの中で、僕は不動さんになろうとかと言ったら、不動さんの陀羅尼を唱えているうちに、そんな格好をしていると、なったような気になっていくという、余り知能に頼らないようなやり方を生み出すわけでしょう。非常に暗示をかけるようなね。陀羅尼を唱えたり、格好をつくったり、優等生から見たらこれはもうお笑いですよ(笑)。仁王さんの格好をしたら仁王さんになれるというようなね。

 丘山 他方で、例えば『十地経』なんかを見ると、発心というのをすごく大事にする。初発心。『華厳経』なんかにも、「初発心時、便成正覚」という、菩提心を起こした瞬間にもう悟りが完成されるという。

 上山 真言密教というのはそういう考えですね。発心したら仏さんだという考えですね。

 丘山 『華厳経』の思想なんかだと、一方をそれに置きながら、もう一方では無量劫修行という限りない修行。修行というよりも、限りないそういうあり方で生き続けるというか。そういう意味では、先生のおっしゃった、誓願を誓願し続けるというのも同じことなんだと思うんですね。

 上山 そうです。本当は、仏さんでなければ真言密教なんかでいう三密行なんていうのはナンセンスなわけです。だから、建前は発心したときに終着駅まで行っているという幻想を持つわけですね。幻想と言ったらいけないのかな。という建前になっているんだと思いますね。だから、この辺に来たら、大乗仏教の中の華厳などとも距離ができてしまっているんだと思うんですけどね。非常に怪しげな世界に入っていくわけですよ。(笑)お釈迦さんの世界というのはやっぱり実にきちっとした世界ですよ。納得できるというかね。

 丘山 本当にわかりやすい。

 上山 問題はそうなんです。しかし、大乗仏教の世界というのは、あなたから問いを出されても僕が答えるわけにいかないのは、これは恐らく学者の嫌いな世界ですよね(笑)。

 丘山 大乗仏教ではすごく動的なあり方そのものに価値を認めるといのが私の印象ですね。

 上山 だから、それは開かれた世界なんですよ。あなたが、閉じられたとか開かれたという言葉を論文で使っているけれども、お釈迦さんの世界というのは割と完結した閉じられた世界だと思いますよ。想像で言っているんですけど。

 丘山 ほんとうにそうですね。先ほども申し上げたんですけど、『十地経』の慈悲の記述で非常におもしろかったのは、『十地経』では、衆生を観察したときに衆生はこういう状態にあるというふうにいろいろ説明してあるんですね。衆生はその欲望にまみれていて、苦悩の沈んでいる、そういうのを観察させるんですね。それは、文章そのまま、ほぼ同じのが原始仏教の経典にあるんですね。

 上山 そうですか。

 丘山 それはどういうことかというと、原始仏教の経典は、そういうふうに衆生のあり方を観察して、だからゴータマ・ブッダは彼らに教えを説いてもむだになるだけだというので――梵天勧請のところなんですけど、それで、説いてもしょうがないと……

 上山 沈黙した。

 丘山 アーラヤ、欲望にふけっているというんです。ところが、ほぼ同じのを使いながら、『十地経』は、菩薩はそういうのを観察している、だから衆生はだめなんだというふうには行かないで、そういう観察の中で大悲大慈が菩薩に生じてくるというふうに言い出すんですね。

 上山 それは、真言密教でも、菩提心というものを例として、慈悲というか大悲というものを……。何とするというんだったかな。もととするだったか。そして、方便を苦行とするという。方便というのはまさにそういう世界ですね。いわゆる大衆のいろいろなことをよく見定めた上で、彼らの喜びそうなことで法を説くということでしょう。だからその背後に、菩提心というか、大慈大悲の気持ちがあって。しかも、究極のねらいは結局方便なんだというふうに言うわけですね。

 だから、曼陀羅を見たらいっぱいうじゃうじゃといろいろなやつがいるわけですよ。あれ全部を見て、あの気持ちを察して対応していくという願いを持つわけでしょう。だから、方便ということが非常に大事になってきていますね。


【経典の絶対性】

 丘山 ところで今日の本題とは直接には関係はないのですが、私は仏教研究の基本はやはり経典にあると思うのです。その中で私は他者の問題に気付かされたんです。だから私は経典ということにとても関心があるのですが、最近それに関連してひとつのことを考えており、今日はそのことについても先生に是非ご意見を頂きたいと思っているんです。 仏教の経典は「如是我聞」という言葉で始まることになっていますね。初期仏教の経典の場合は、建前としてはゴータマ・ブッダが説いたのを阿難が聞いて、それを伝え伝えてというに考えているわけですけど、大乗経典の場合は、いくら建前はそれでも現実にはみんなそうではないと知っています。しかし、如是我聞といえば経典になる。

 しかし私は、如是我聞という言葉には、もっと大きな意味があるんじゃないかと。つまり、そもそも――これもまた大ぶろしきを広げるんですけど……

 上山 できるだけ大ぶろしきを広げてください(笑)。

 丘山 教典というんですか、聖典。聖典の絶対性――つまり、仏教でいえば経典はそうですし、ヴェーダにしてもウパニシャッドにしても作者はいないですね。それから、中国でも、大枠で言えば儒家の経典は一応孔子が策定したということになっていますけど、基本的にはいにしえの聖人というのは絶対化された存在なので、聖人というくくりで、だれだれがという具体的な人のイメージじゃないと思うんです。

 そういう意味で、聖典の絶対性というような観念が伝統的にはあったのではないかと思うのです。私たちがそれを絶対的なものとして受け入れざるを得ない、そんな絶対性が。如是我聞というのは、それを象徴しているような言葉だと思うんですね。つまり、いろいろな経典で言われるんですけど、自分がこの経典を説いているんじゃないと。これは仏のアディシュターナ(加護力)を受けて説いているんだというふうに言うんですね。それは、一種の啓示というかインスピレーションで与えられたものを文字にしているだけだから、自分が書いているんじゃないという意識がどこかにあって、それを如是我聞という表現にしているのだという気がするんですね。だからこそ、それで、いわゆる聖典としての絶対性が、現代的に解釈すれば絶対的存在としての聖典として何かを伝えられるような気がするんです。

 だから、仏教の中でも聖典同士は批判し合わないというか、少なくとも表面的には論争にならない。論書の場合は、人間が書いたもので、作者もあるので、きちっとお互いに批判し合うのは可能であるけれども。そういう経典の絶対性の根拠がどこにあるのかというのが、とても気になるのです。ひょっとすると、「如是我聞」というのは、このとおりに私は聞いている、受けとめているということで、人から人へ伝わってきているというのではなくて、私は啓示的にこう聞いている、というような。

 インドの聖典の場合に、シュルティとスムリティという区別があって、シュルティというのは――「シュル」は「聞く」というサンスクリットの語源ですけれども、それがもとになっていて、聞きとられたもの。それから、スムリティというのは、修行者たち、聖者たちが念じて書いたもの。当然、シュルティという啓示経典のほうが絶対的に地位あるわけです。

 ですから、聞くということに絶対性があるんですね。それはインドだけの問題なのかどうなのかといつも気になっていまして。中国なんかでも、「述べて作らず」という所謂「祖述」という在り方が同一のことを示していると思うのです。 聞くことの絶対性、あるいは人間が創作したものよりも啓示的に書き記されたもののほうがより確実なのだということ、それはどういう事態なのかというのを先生に……

 上山 どういう事態、というと……。

 丘山 例えば大乗の経典を勉強していると、やっぱり大きいのはプラジュニャー(般若)ってありますね。般若っていったい何かと考えると、今の研究者では大体「直観知」と言っているように思うんですけど、私は、直観知ならだれでもあるだろうという気がするんです。でも、プラジュニャーというのはどうもそうじゃない。ですから、さっきの菩提心とか、そういうものとのかかわりで、やっぱり大乗仏教のキーワードの一つとして絶対にプラジュニャーは落とせないと思うんですね。しかし、そのプラジュニャーというのも、考えたら……

 上山 それは小乗仏教には余り出てこないですか。

 丘山 全然ないわけじゃないんですけど。西先生が書かれたもので、原始仏教における般若の研究というのはあるんですけど、そんなに大事な役割では位置づけられているわけではありません。

 上山 般若波羅蜜多というのは……。あれは一緒になると何か違う意味になるんですか。

 丘山 般若と波羅蜜が一緒にされて教理の中心に据えられるのはそれこそ大乗の般若経からなのですが、パーラミター(波羅蜜多)がついても意味が異なってくるということはないと思います。で、その般若の問題なのですが、プラジュニャーを動詞で使うと「ヤーターブータム プラジャーナーティ」というんですね。つまり「あるがままに見る」あるいは「あるがままに理解する」です。漢訳語は「如実智見」です

 私は、昔々、プラジュニャーにぶつかったときに、周りの先生方に片っ端から「先生はふだん、事象をあるがままに見ているんですか」と聞いてまわったんですね。そうすると、みなさん当たり前だろうというふうに言われるんですね。私はそのときに、「でも、あるがままに見るというのはプラジュニャー、つまり般若の智でしか見えないんじゃないんですか」と、ふざけ半分でやるわけです。だから、プラジュニャー、あるがままに見ているようであるがままには見ていないというのが現実で、それが仏教では分別というわけです。ただ、口でそういうふうに区分けするのはできるのですけど、どういう事態なのかというのがやっぱり問題で。つまり、私の感じでは、これも学問的に実証してどうのこうのということにはもうならないんですけど、「私は世界をあるがままに見ている」という事態と「世界が私に見えてくる」という事態は根本的に違うのではないかと思うのです。

 つまり、先ほどの話題である「如是我聞」も同じことなのですが、「私が(主体的に)聞く」のではなく、「私に聞こえてくる」という事態。私は、見るにせよ、聞くにせよ、受動性こそより確実なのだという確信が古代の智慧にはあったのではなかろうかと思うのです。

 こんな課題が西欧の哲学では問題にされることはないのでしょうか?ぜひ何かご助言いただきたい。人間がものを見ているという事態と、ものが見えてくるという事態は、私はなにか根源的に違う気がするんです。それは、余り大きな問題ではないのでしょうか。「私が見る」ということと、「何かが見えてくる」という……。

 上山 それはやっぱり基本的な問題じゃないんですか。「見えてくる」というのは、普通の知覚だとか、そういうものは恐らく言わないでしょうね。だから、同じ「見える」という言葉を使っていても、「見る」だとか。「見えてくる」ということは、何かそこで普通は気がついていないものに気がつくことでしょう。これはやっぱりある意味で普通の感覚的な世界ではなくなりますね。真実と言いたくなるようなものが見えてくるわけでしょう。真実なんて視覚で見えるものじゃないですよね。

 丘山 ですから、プラジュニャーというのも、直観知とかそういうことではなくて……

 上山 その直観知というのもいろいろあるでしょう。直観という言葉を、「直」という字と感覚の「感」と書いたり、それから観音様の「観」を書く場合とか。

 しかし、『純粋理性批判』の訳にあの「直観」を使ってしまったために、ちょっとまずいじゃないですか。直観という言葉が格下げになったじゃないですか。あれは感覚の「感」とでも書いておいてくれたらよかったんですよね。ただ、ドイツ語の「anschauung」というとやっぱり、そういう単なる神力な世界だけではなくて広い意味があるでしょうからね。しかし、実際は、感覚で見るのとちょっと区別したいですよね。  見えてくるなんていう経験はそうたびたびないことなんだけれども、卑近な形でいえば、この辺の研究をやっていても何か突然見えてくることはありますよね。物すごくうれしくなるようなことはたまにはありますよね。だから、そういうのが、こういう仏教だったら仏教カルチャーの中で修行しているやつには持続的に出てくる可能性はありますよね。

 丘山 ですから、仏教で言っているような般若というのはやっぱり、そういう修練によって世界が見えてくるというようなことなのかなという気はしていて、さっき言ったような如是我聞なんていうのでも、人間の知的なものでも聴覚でも、いわば受動的なあり方のほうがより確実だというような……

 上山 真実というか、ゆがみが入っていないというか。

 丘山 ゆがみが入っていない。

 上山 少なくとも、こういう肉体を通したゆがみがね。

 丘山 あるいは個人の意識、あるいはいわゆる仏教でいう分別作用が加わっていない……今後、そんなことも本格的に考えてみたいなと思っています。


【今後の古典学研究】

 丘山 最後に、現在進めている「古典学の再構築」について、上山先生にご意見を伺いたいのですが……

 上山 あなたがそういうプロジェクトにどういうふうな形でコミットしたいと思っているのかということも聞きたいし。

 丘山 では、私のほうからごく簡単に。私は、最初に申し上げましたように、やはり自分の問題ということにかなりこだわるので、そういう意味では、古典学というより古典そのものが現代的にどういう意味を持っているのかということを自分の問題意識に基づいて、各分野の方々と意見を交換していきたいと願っているのです。

 なおかつ私の場合は、本当に考えたい課題という意味で、最近ここのところ20年ぐらい、日本でもヨーロッパから入ってきていろいろ議論されていますけど、私は私で全然違う意味で自己、他者の問題を、仏教の伝統を材料にしながら進めていきたいと。それは、文献に即してという意味では古典研究ではあるんですけれども、今私たちが抱えているいろいろな大きな問題、世界的な問題、平和の問題とか、あるいは人と人とのかかわりの問題ということ、そういう意味では、まさに現代的な、現代のいつも根元的にある問題に取り組んでいきたいと思うんです。

 古典から現代を問う、古典がさまざまな現代的な問題に対して問いかけてくれる、語りかけてくれるという意味で、やはり私は、古典研究というのはそういう意味では現代の研究でもあるし、ある意味では理科系とは違う意味で常に先端の研究であると思っているんです。そういう意味で、私は、自分の意識では、宗教思想における他者の発見、それから19世紀あたりから哲学は、自己の探求というか、ベースにあるのは個でありながら、最近の最先端、例えばレヴィナスなんかでいえば、自己他者の問題こそ、というふうになってきているという問題提起もずっとあるので、そこらの問題と、2000年間問い続けてこられてきている、あるいは問うことはストップされている仏教の慈悲の問題をトータルに考えていきたい、あるいは自分の課題としてそういうことをやっていきたいと思っています。

 ただ、それは、古典研究をやっている人全部に押しつけて、そうあるべきだというふうには全然思っていません。先生が最初におっしゃってくだったような世界の地図、海図を描いてくれるような、そういう作業こそそのベースにあるので、そういう意味では、従来の伝統的な地道な古典研究が大切であることは言うまでもありません。あるいは今後さらにその意義が増してくるであろうかとも考えています。

 ですから、そういう状況の中で、まさに自己―他者の問題を、インドや中国以外の文化圏、文化地域、つまりイスラームとかヘブライとかヨーロッパの文化研究の方々と、そこらの問題に関してお互いに議論し合い、何らかの形で一歩でも研究を進めたい、そんなことを後半期で何か積極的にやれればと思っています。

 上山 そういう点で、いろいろお世話をしていただいている代表の中谷さんが、「一般古典学」というテーマを置かれましたね。それを自分たちは目指そうではないかと。それはいろいろと誤解も多いし、場合によっては危険もはらんでいるかもしれない。  しかし、「一般古典学」という古典の共通観念というものをとらえ出すということの前に、比較といいますか、少なくともそこはかなり濃密にできる条件が熟しつつあるのではないかと。そういう比較という形で、現代の問題という共通のベースの上で――比較というのは何か共通のものがないとできませんからね。

 そういうことで比較ということが進んでいけば、一般化の手がかりという、一般化ということには問題はたくさんあると思うんですが、中谷さんなんかが願望している、そういうものへ一歩近づいていくような、比較を深めていくというか、比較を通してそれぞれの個別の古典学にとっても得られるものがあるという形ができていくと非常にうれしいと思います。

 それから、だんだん世界の距離が相対的に縮まってくると、それぞれの国の集団の持っている価値体系というか、偏見の体系というと言い過ぎだけど、そういうものがもろにぶつかるチャンスも多くなってくるので、どういう個性のある価値体系を持っているかということを互いに理解するということは緊急な課題になってくる。これは非常に現代的な問題となってくると思うんです。

 だから、そういう点では、古典がそういうストックと対面して、非常に苦労の多い業務を続けている。それを正当に評価する力というものを社会も持たなくては、その社会の自滅だと僕は思います。そういうところでしょうか。

-了-



付記:この対談は、平成13年2月23日金曜日の午後2時から6時まで、京都大学人文科学研究所の応接室で行われたものです。対談の話題は多岐にわたり、特に上山先生のお若いころの修行の経験や最近の研究の話題は、とても興味深いものでした。また、私の中国仏教の研究に関してもさまざまな事柄が話題となりましたが、それらは紙数の関係上、本稿には収録できませんでした。なお、本稿の整理は丘山が行いましたので、文責は私が負うものです。


[本稿を無断で使用、転載なさらないで下さい。]