財団法人東京大学仏教青年会『第264回公開講座』講演(2008/6/24)「色即是空」から「空即是色」へ -解脱から菩薩行へ-の聴講者の方より頂きましたお手紙
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丘山新先生
初めてお手紙差し上げます。
6月24日の御講義「色即是空から空即是色へ」拝聴させていただきました。
原始仏教の人間関係の否定、個人で完結していること、大乗仏教の、一切衆生と共に生きる無量劫にわたる菩薩の修行実践、その誓願、原始仏教の色即是空の現世否定から、大乗の空即是色の現世肯定への転換。とても勉強になりました。ご講義を拝聴させていただいているなか、頷くばかりでした。
ブッダやイエスは特別であり、人間ではないこと。利他を重視するというのであれば、全財産を放棄して寄付すればよいのではないかという疑問に対し、あなたにそれができますかという先生の返し、それは、自他共に人間であるという自覚を促しているのですね。まさしく、そのとおりと頷くばかりです。利他ということばをつかうことが憚られるとし、「共に生きる」という言葉を使うということも、「あなたも私もいっしょに」という気持ちを表現されているものと思いました。
大乗経典の一切衆生という言葉の頻出というご指摘。大乗経典の菩薩たちは自らを一切衆生であるという自覚を持ち、同じく衆生として生きたのですね。ダンマの顕現を得た阿羅漢たちにこの自覚はあったのでしょうか。聖者と凡夫と上下関係として、見下していたのではないでしょうかと私は思うのでした。
丘山先生の一切衆生と共にというご主張に私は共感いたします。これこそ大乗であると思います。この前、NHKの『爆笑問題のニッポンの教養』という番組で霊長類を専門とする学者山極寿一という方が、ゴリラには喜怒哀楽は存在するけれども、共感は存在しない。人間は共感が存在する、と述べておられました。共感は人間特有のものであることに驚きました。
ダンマ・如来の探究が人間独自のものであると同時に、他者への共感もそうであることは、人間が人間であることの意味、人間がこの世で果たすべき役割について、この点から考えていかなければならないことが多くあるように感じました。
先生の梵天勧請が大乗仏教への萌芽というご指摘を拝聴していて思い浮かんだ、『十地経』の第八地の内容でした。無生法忍を得た者に対し、諸仏が、衆生であることの自覚とまたそれは最上覚ではないこと。その涅槃に安住してしまわないこと。もし、そうなれば、声門、独覚と同じとなってしまうとアドバイスし、身体変幻への境地に向かうように促す。(身体変幻は自身の衆生であるという自覚とともに、その同じ衆生としての共感を意味すると私は勝手に解釈しています。)それを実現したものは梵天と同じであること。それが思い浮かびました。
第九地は説法師の境地であることから、説法師となるためには、衆生の自覚と共感を必須とするとこの経典は主張しているのではないかと私は解釈します。
これに関係することと思えることは、ユングがセルフと一体になったとき、常に危険であり、これを自我肥大といい、このとき、誇大的、尊大、万能感、支配的、他者操作、他者への見下し、他者への共感の欠如が生じるといいます。
大乗が阿羅漢を慢心していると攻撃するのはこのようなことにも関係するのかもしれません。また阿羅漢のみならず、自ら自身に対しても、そのような危険を自覚していたのかもしれません。
これは私の勝手な想像ですが。
長々と私のお話をしてしまい申し訳ありません。
ところで、先生のお若いお仲間といってよいのでしょうか。彼らの般若心経の読経はとてもよかったですね。若い方が一生懸命唱えている。その気持ちがとてもよかったです。私はその読経を聞き、法悦に浸りました。彼らの純粋なご法施に感謝いたします。
先生がおっしゃったように、経典の意味を考えて読経するのではなく、ただ唱えること。聞くということは、阿弥陀仏の声を聞く事と同じようにということとおっしゃいました。まさしく、そのとおりに思いました。
私はそれはダラニであるとも思いました。それは力あるものとして、人々の身体を変容させる。その体験をさせていただきました。
先生はお若いお仲間の方々とともに仏道を実践されました。これは大乗の実践なのですね。実際に、私たちの目の前で、示され、私たちに体験させてくださいました。ありがとうございます。お若いお仲間の方々にもこの感謝の気持ちをお伝えくださると幸いです。あの一生懸命さと真っ直ぐさがとてもいい。また、あのような人前で、読経することは大変緊張されたでしょうし、度胸が必要であったことでしょう。大変だったのではないでしょうか。私にはとてもできそうにありません。
先生の突然の要請に応えた様はとてもすばらしいと思いました。先生のことをご尊敬されている。また、仏教に対して真剣でおられると思いました。
先生とお仲間方の、共に生きる姿を拝見させていただきました。
先生が御講義の結びにそのお二人をお褒めになられた。きっと、その二人はうれしかったのではないでしょうか。とてもうらやましいご関係ですね。
これからも、その尊いご活動が続けられ、ますます、ご発展されることを心から祈念しております。
そして、最後に、お願い事を申し上げることは恐縮ですが、もし、できることならば、私たちのような一般の者にも再び、そのような機会をお与えくださり、仏道を体験させていただくことができれば本当に幸いです。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
敬具
平成20年7月3日(会社員、38才)